杉野一郎の愛媛高校野球インサイド ㊤重澤監督 今治北での初勝利
春季大会東予予選初戦、東予を8対2で下した直後、今治北の保護者がつぶやいた。「すぐに次の試合があるんやけん、急いでユニフォームを洗わないかんよ。もうこんなことは初めてよ」。口調は面倒くさそうだが、その表情は満面の笑みに包まれていた。それもそのはず、今治北が公式戦で勝利するのは、2019年の秋以来2年半ぶり。いまの部員たちにとっても、待ちに待った初勝利だった。
■骨埋める決意で臨んだ
試合前にノックを行う今治北の重澤監督
今治西と共に、東予地域の強豪と言われ続けてきた今治北。05年秋の四国大会で準優勝し、翌年の第78回センバツで初の甲子園出場を果たした、同じ年の夏の県大会では決勝進出。16年にもベスト4入りを果たすなど、常に好投手を擁し、存在感を示してきた。しかし、その後は著しい成績をあげることができず停滞期が続く。そこで再建を託されたのが、松山商で10年半に渡って監督を務めた重澤和史だ。松山商時代には甲子園出場は果たせなかったものの、川之江で監督を務めた02年には、好投手・鎌倉健(元・日本ハム)を擁し、夏の甲子園でベスト4入りを果たしたベテラン監督だ。
20年4月、並々ならぬ思いで今治北の着任した重澤は、小さな箱を抱えて、選手たちに集合をかけた。箱の中身は川之江時代に持ち帰った甲子園の土。この宝物を重澤は「お前らの手で、このグラウンドにまいてくれ」と選手たちに手渡した。そこには「今治北に骨を埋める。この学校で、もう一度甲子園に出場し、土を持って帰る」という熱い思いが込められていた。
■一筋縄ではいかない戦い
軽快な走塁から本塁に滑り込む今治北部員
しかし重澤の思いとは裏腹に新生今治北の船出は厳しいものとなった。新型コロナウイルスの拡大で、身動きが取れず、練習試合も禁止が続く。部員の多い高校では、このピンチを紅白戦で乗り切ったが、少人数の今治北では、それもままならない。シートノックが主体の練習が続き、選手たちも実戦の感覚がつかみ切れない状態で、それが試合結果にも影を落としていった。
就任から去年秋の大会まで、今治北は公式戦を6試合戦っているが、3試合が2点差、2試合が1点差といずれも接戦をしながらも敗れている。「実戦が足りていないから、ギリギリの試合で勝ち切れていない。それは監督の責任」と重澤。
しかし、この春の大会に臨む今治北ナインは、これまでとは違っていた・・・
冬を迎えた今北の野球部員が力を入れたものとは。そして、大会が始まる
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